朝スピーチについて
担任になってからの朝スピーチが非常に難しい。完全に愚痴です。
日直に毎朝スピーチをさせていますが、なかなかうまくいっていない。僕と生徒の間の信頼関係やら指導不足っていう部分もあるとはおもいますが、なんだかこれは違うという感じになります。
この一年いろいろ悩みながら様々なスピーチをさせてきました。
1周目は普通に自己紹介をあらためてする
2周目はごきげんようスピーチ
3周目はルーレットを回してでたひらがなから始まる単語についてスピーチ
4周目は画像をPCで提出させて、その画像についてプレゼン
うまくいくいかないはおいといて、なんか違う感がすごい。
1周目
普通の自己紹介は、「ほとんど最初の自己紹介で話したのであまりありませんが、好きなものは〇〇です」でおわりがたくさん。
一分間話して。って言っても、「え~ありませんよ~」って。
自分について語ることそんなにないかなぁ。見ただけで君についての紹介割と僕できるよ。一分は割と行ける。
中学までに自分についての作文とか書かなかったのか・・・
そう思って、自己紹介プリントっていう小学生の頃書いたような紙渡したけど、すっごく簡単に書くの。自分にそんなに関心ないか?
2周目
まぁ好きなものについてや先週での思い出に残った出来事などの無難なお題集の書いたさいころを振ってスピーチ。
でも、なかなか話せない。昨日の出来事とかなんかないのかね。僕も高校生の頃はぼ~っと生きてた気もしないこともないけど、流石にぼ~っとし過ぎじゃないかな。
でも中には好きなものについて5分くらい話す子もいて、やっぱり情熱を語る。みんながわからないような話でも一生懸命話す姿はやっぱりいいなぁ。
とか思っていると、いい子がやっぱり好きなのか?ってなっちゃいますけどね。
3周目
前日にルーレット回して単語を自分で決めてスピーチ。これは、僕が「歩く豆知識」って言われてていろんな無駄知識持ってるんですけど、みんなもスマホとかパソコン持ってるんだから、毎日新しい知識身に着けようぜって提案。
でもな、Wikipediaを一気読みしてほしいわけじゃない。誰が、Wikipediaの文章まる読みしたスピーチ聞くんだよ。もっと、この単語について調べたらこういう話が出てきてとか、新しくこんなこと知ったとか、語源はこれでとか聞きたいんだよ。
〇〇とは△△の略で、こういう意味を表す。また、他の言い方では××と評されていることもある。とかそんなWikipedia文章誰が聞きたいんだよ。いつも自分が聞いててもつまらなくない話するだろ?君ら。
まさに朝が地獄のような時間ですわね。
4周目
画像を調べてきてそれでプレゼン。ほかのクラスがやってるからーってことで実践。でも、聞いていた話と全然違う。ほかのクラスの動画見たんですけどもっと面白そうだったぞ?うちのクラスは大体忘れたので今から調べますやら、やっべ!って適当に写真を撮って「さっき撮った写真です。〇〇くんです」やらなんなんや!!!
あと、非常に多かったのが、漫画とか映画の写真を載せて「これは〇〇です。面白いので見てください」
えっ、それだけ?番宣がへたくそな俳優でももう少しはしゃべるよ。その物語がどんな物語とか言いなよ・・・ってなります。
結果僕が持っている知識であらすじの解説をしたりと、なんのためにやっているのかわからない。
そもそも朝スピーチっていうのは信頼関係が大事なんだなぁと思いました。結果、毎日スピーチに対してダメ出しをする羽目に(もちろんほめることもありますけど)
また、スタートバッターって本当に大切ね。最初の人が適当にやったりすると、あとの人たちもみんなだれてしまう。高校生の集団意識ってやつかな。
どうしたら意欲的に朝スピーチをやってくれるかどなたか考えてくれないでしょうか。
信頼関係はもちろんだと思って、これをやったら大丈夫!ってことはないと思うんですが。
というか、もはやこんなことになるなら朝スピーチって不要?
教員の自己満足ではあるまいだろうかって話。
結局生徒に責任があるわけでなく、話す力ってのをそこでつくのかって話だと思うんですけど。
教育の原因は生徒ではなく教員にあるはずではなかろうか。